午前五時。ようやく夜が明け始める頃、私は一度目を覚ます。
カーテン越しに入ってくる光もまだ弱く、部屋の中をうっすらと浮かび上がらせるくらい。
「……ん……美神……さん……」
露わになっている胸から、男の声。
なかなか“令子”と呼んでくれないのは仕方がない。
長い年月をかけて染み付いた習慣というものは、一朝一夕では変えられないものだ。
たとえ、二人の関係が変わっても。
私の胸に顔を押し付けるようにして眠る、彼の頭をかき抱きながら、そっと名前を呼んでみる。
「……忠夫」
やっぱり、気恥ずかしい。
私の呼びかけに、多少寝息を乱しながらも、横島君は目を覚ます様子はない。
彼の頭を撫でるのをやめ、名残惜しさを我慢しながら、身体を離す。
そしてそのまま、しばらく彼の顔をぼんやりと眺めてみたりする。
今まで、横島君は色々な顔を見せてくれていたけれど、最近また、そのバリエーションが増えた。
私に告白してきた時の、O.Kをもらった時の、情事の最中の、男の顔。
……普段なかなか見ることのできないこれは、とても味わい深い。
けれど今現在、私の胸に再び顔をうずめようとしている、まだまだ少年らしい顔。
これも捨て難い。
手を伸ばし、彼のほっぺを摘まんでみる。
「……んー……お前等……美神さんが……で……は可愛い…」
私の手を払いながらの寝言に、前日の出来事を思い出し、少しだけ赤面……少しだけ。
その日の夕方に緊急で入った仕事に、都合が付いたのは私と横島君だけだった。
現場に向かいながら、横島君を拾いに学校へと寄った時のこと。
「もーな、俺の腕枕で眠る美神さんの可愛いらしさといったら!」
「……人形相手に頑張るな……」
「そうでもしないと、やってらんないんだろ」
「寝言は寝てから、ね」
「おーまーえーらーなー」
校門前で騒いでいる姿に呆れながら、ゆっくりと車を近づける。
何の話題で盛り上がっているのかと思ったら、恥ずかしいことを……このバカは……。
友人達が誰一人信じていないのが、救い……なのかしらねえ?
とりあえず、これ以上なにかをばらす前に、横島の脳天に一撃入れて意識を奪う。
「美神さん、横島の言ってたこと、嘘っすよね?」
「腕枕なんて、そんな関係、夢っすよね?」
「お姉様……信じてますから」
横島を引きずって歩き始めると、彼らは友情溢れる質問を私に浴びせ始める。
その問いに、彼らを振り返ることなく、簡潔に答える。
「嘘よ、二割くらい」
唖然・呆然・石化にお祈りと、様々なパフォーマンスを披露する彼らをそのままに、横島を助手席へ放り込む。
車を走らせること数分。
「お前らに美神さんの寝顔の価値などわかるまいっ! ……あれ?」
目覚めの第一声を上げた横島は、誰かに向けて突き出した指をそのままに、こちらに顔を向けてくる。
「あんまり恥ずかしいこと、他所でべらべら喋ってんじゃないわよ」
不思議そうな顔のこいつに、満面の笑みでそう告げる。
表情と口調が合っていないのは、ご愛嬌というものだ。
私の台詞で、あらかたの事情を察したのだろう、疾風怒濤の勢いで言い訳を始める横島君。
慌てているせいか要領を得なかったが、何とか理解してあげた。
「……つまり、彼女のいない男の代名詞として、合コンのダシに使われそうだったから、
『彼女がいる』って言ったら、おキヌちゃんだの、花戸さんだのシロだの、っつー話になった、と」
無言で頷くのを横目に見ながら、アクセルを踏み込む。
「……で、『俺の彼女は美神さんだー!』に始まり、私との関係を彼らに語っていた、と」
首振り人形と化した横島を一瞥。
「それが、いつの間にか、のろけ話に、移ったのはいいとして」
一区切りごとに、アクセルを踏み込んでいく。
「なに腕枕とか話してんのよっ! 色々ばれるでしょっ!?」
「い、いや、だって、美神さんの可愛いところは? って聞かれたら、真っ先にそれが浮かんで」
「普段は可愛くないとでも言うのかーっ! クソ女だとでも言うのかーーっっ!!」
「んなこと言ってねー! つーかブレーキ! おわっ、おじいちゃん避けてーー!」
あの後は大変だった。
追跡してくるパトカーを撒いて、ようやく落ち着いたと思ったら、除霊現場を通り過ぎてて。
ドタバタしながらも仕事を始めたら、意外とホネのある悪霊だったりして。
横島君が頑張ってくれたおかげで何とかなったけど、ほんと、昨日は散々だった。
でも、私が告白を受け入れた時、「俺、頑張りますから」って言ってたのは嘘じゃなかった。
だから、このくらいはいいだろう。頑張ってるこいつに、ご褒美。
それに、この程度で気分良く働いてくれるのなら、安いものだ、うん。
そう言い聞かせながら、眠る横島君の腕を伸ばし、頭を乗せる。
間近に聞こえる、穏やかな寝息。
「美神さんの寝顔って、安心しきってるとゆーか、子供見たいつーか」
しどろもどろのその言葉、そっくりそのまま、あんたに返すわよ。
ふと時計に目をやると、午前六時。
またやってしまった…。
まあいい。今日は八時までは寝ていられる。
それまでこいつに、華を抱かせてやろう。
「いい夢、見させてあげるからね」
彼の頬にそっと口付けし、私は目を瞑った。
・あとがき
Night Talkerさんの小ネタ掲示板に投稿したものっす。
結構お気に入りの一作。
まあ横島君は、美神さんの手の平の上からは、逃れられないんですよ。