ヴァレンタイン当日のお昼、横島は自分の通う学校の教室で、静かに荒れていた。
言うまでも無く原因は、ヴァレンタインデーそのものにある。
今年は去年のように、下駄箱にチョコが入っていることも無く、自作自演疑惑で憐れまれることはなかったものの、収穫はゼロ。
山のようにもらえるとは思わないが、まったくのゼロ。完全無欠にゼロである。義理もへったくれもない。
こんな日に限って、同士・タイガーは欠席。「仕事という名のずる休みだ」とは横島の弁である。
「横島さん! そんな事、冗談でも言わないでください!」ピートはぶるっと身震いすると、「本当にシャレにならないですから」と、青い顔で答える。
放課後、バイト先に顔を出せば幾つかはもらえる。そう分かってはいても、目の前でキャアキャアやられては面白くない。
なんとか横島を宥めるピートだが、状況は一向に良くならない。
と、そこに、見るに耐えかねたのか援護が加わる。
教室内の喧騒が止み、そこにいた全員の視線が同じ方向を向く。視線の先にいるのは、横島とピート。
そして―――机妖怪の愛子だった。
涙を流しながら、両手で受け取る横島。ダーッと泣く横島を、肩を竦め、やれやれといったように見ているピート。
とりあえず、横島の負のオーラにより、教室が沈むという事態は避けられた。
「ちわーす!!」という挨拶と共に事務所に入る横島。昼間纏っていた黒いオーラは微塵も無い。
見れば彼の手には、チョコが詰め込まれた紙袋がある。
机の上の書類と格闘していた事務所の主、美神令子はチラッと彼を一瞥すると、再び書類に目を落とす。
そういえば、「確定申告の準備で忙しい」と言っていた事を横島は思い出す。本当は多分帳簿の帳尻あわせに忙しいんだろうな、と思ったが口にはしない、ぼこぼこにされるのはやはりごめんこうむりたいところだ。
「チョコを貰いに来ました」等とは言えず、手持無沙汰にソファに座る横島。
その場の沈黙に耐え切れず、いったん出直そうと腰を上げ、いまだ書類から目を離さない美神に声をかけようとした所で、声がかかる。
「あ、横島さん。もう来てたんですね」
「せんせー、今日は早いでござるな」
「……疲れた」
「あれ、三人揃って何してんの?」
「えーと、その、ですねー」
「先生ーー! このチョコ、拙者も食べていいでござるか?」
「ふーん、なんだ結構貰ってんじゃない」
「おい! 勝手に人の荷物あさんなよ!!」
おキヌから離れ、シロタマに向かう横島。残されたおキヌの顔は驚きの表情である。
よくよく気をつけて見ていれば、美神の手が一瞬止まり、すぐに動き出していたことに気づいただろう。
「先生、かなり貰ったでござるな」
「……なんか、小さいのやら大きいのやら、種類が沢山あるわね」
実は愛子からチョコを貰うと、堰を切ったように女子生徒が横島にチョコを渡しだしたのだ。なんでも去年の自作自演に同情して、今年はあげよう、という話になっていたらしい。
が、誰もが最初に渡すのはちょっと、ということで昼休みまでずれ込んでいた。そして愛子が渡した事により、ようやく皆が渡せるようになった。というのが事の顛末らしい。
最初は横島に対し、嫉妬と殺気のオーラを向けていた男子生徒一同も、事情を知ると全員が頷いた。
こうして、誰が名づけたか「同情チョコ」が紙袋をいっぱいにするに至ったわけである。……数の多さには誰もが驚いていたが。
「という事は、全部義理とか同情なのでござるな」
「まぁ、そういうこった」
「では先生。しばし待つでござるよ」
しかめっ面になった横島に声をかけると、シロはキッチンへと姿を消す。彼女に声をかけながら、慌てておキヌとタマモも続く。
しばし待つといった事も無く、満面の笑みを浮かべたシロと、不敵な笑みを浮かべたタマモ、そして赤い顔のおキヌが戻ってくる。
「はい、先生! ほんめーチョコでござるよ!」
「まぁ、私は同情チョコならぬ、感心チョコっていったところかしら」
「横島さん、本命チョコですからね」
「おおっ!! 三人ともありがとー!!」
もらえるだろうと思っていても、実際もらえるとやはり嬉しいもので、ここでも涙を流す横島。
そんな横島を囲み、女の子三人は賑やかに話し始める。
「おキヌ殿に習った」とか、「シロはつまみ食いばかりしていた」やら「失敗はタマモが一番多かった」など、横島そっちのけで盛り上がり始める。
顔を紅潮させ、肩でゼーゼーと息をしている美神。
一瞬固まった四人だったが、恐れを知らずにシロが口を開く。
「美神殿は先生にチョコをあげないのでござるか?」
「あのねぇ、わ」
「私がそんな少女趣味なアホらしいイベントに参加するわけないでしょ!! でしたよね、たしか」
シロの質問に美神より早く答える横島。
そして今年もタイミング良く現れる西条。
「やあ令子ちゃん! 今朝はチョコレートどうもありがとう! お礼に花を買ってきたよ!」
「あ、あら」
「なーんだ、しっかり参加してるんじゃない」
「忙しいと言っていたわりに、マメでござるな」
「んー? 美神殿のほんめーは西条殿なのでござるな」
「べ、別にそんなわけじゃ。西条さんは、」
「私が少女の頃からの『お兄ちゃん』なんですよね、ね?」
「……そのわりに毎年あげてるけどね」
思案顔のシロの呟きにあせったように答える美神。今度は茶化すようにおキヌちゃんが言葉を続ける。そしてじと目でぼそっと呟く横島。今年も西条にだけあげたのは、やはり面白くないらしい。
今度は美神を話題に騒ぎ始める。美神が口を挟もうとするたび、他の女の子三人に茶化されるといったこの事務所では珍しい光景であった。
一人取り残され、居づらくなった横島が帰宅する旨を告げると、美神を除いた三人は晩御飯を作りに一緒に行くと言う。
断る理由も無く、歓迎する横島。ワイワイと四人仲良く騒ぎながら、美神を残して事務所を後にする。
一人愚痴を言いながら、豪快にグラスを空ける美神。最初のうちは彼女のヤケ酒を止めていた人工幽霊一号も、すでに諦めたのか彼女に声をかける気配は無い。
「だいたいさぁ、今年は参加しない、な〜んて誰も言ってないじゃない」
怒りもあらわに愚痴をこぼしていたそれまでとは一変して雰囲気が変わり、今にも泣き出しそうに俯き言葉をもらす。
だが、すぐに顔を上げると、またぶつぶつと愚痴りだす。
支離滅裂な事を言いながら、パンチの具合を確かめるように素振りを始める美神令子。
ヴァレンタインデーの夜にヤケ酒を飲みながら、シャドーボクシングをする女。
シチュエーション的には、当日に相手の浮気が発覚した挙句に振られた可哀想な女性、としか言いようが無い。もっとも彼女はそんなことには気づいていないのだろうけれども。
「こんば、うわっ! 酒くさっ!! 美神さん、どんだけ飲んでるんですか?」
「な〜によ、横島じゃない。なに? もしかしてチョコでも貰いにきたの?」
「美神さんから貰えるなんて思ってないっすよ。あーもう、こんなに散らかして」
何を企んでいるのか、嬉しそうに絡んでくる美神の元に到達するために、散らかっている空き缶やら空き瓶やらを分別しながら片付ける横島。このゴミ量から察するに、自分達が帰った後、すぐに飲み始めたのだろうと考える。美神がこれだけ飲む時は、よほど心が鬱屈している時だ。
「な〜に、ボーッと突っ立ってんのよ。ほら、隣! 来なさい!」
バシバシと自分の隣を叩きながら呼ぶ彼女に逆らえず、のろのろと近づく。
ソファに腰を下ろそうとしたところで、
「せーざ!!」
「……は?」
「やっぱりそこに正座しなさい。ほら! 注いで!!」
新たな指令が下り、有無を言わさずにその場に正座させられる。そして座るや否や、すぐにグラスが差し出されお酒を注がされる。
普通ならムッとするところだが、何と言っても横島である。
正座させられた彼の頭の中は、
(ぬおっ!! 目の前に太ももが!! そしてこの目線の高さ!! 上手くいけば、ぱ、ぱ、ぱんてぃが見れるかもっ!!)
(……ぬぅ、これで足でも組んでくれれば一発なんだが。……しかしこれは、もしや誘っているのか!?)
(だが、ここで飛び掛っては何時もどうり。ならばここは座して時を待つのが上策か……)
「……しまっ! 横島!! こらっ! 人の話し聞いてんのかー!?」
「いでっ! 聞いてます! 聞いてますから!! いたっ! 耳離して下さいって、いたっ!」
「ふふ〜ん、あんた、やっぱり隣に座りなさい」
目の前の桃源郷に目を奪われていた横島は、美神の話などもちろん聞いておらず、耳を引っ張られ意識を引き戻させられる。
そして、そのまま美神の隣に引っ張られ、少しばかり行儀悪くソファに納まる。その際、横島が「イテテ、痛いよ姉さん」と呟いたのは芸人根性の表れだろうか。
密着している、と言っていいくらいに隣に座っている。なのに酒臭さのせいでどきどきが台無しじゃー、等と思いつつ、ひりひりと痛む耳をさすりながら、美神に尋ねる。
横島の問いに即答せず、行儀悪くつまみをいじりながら、「ん〜」と考え込んでいる美神。
しばら言葉を待ち続け、いっそこのまま寝てくれたほうが楽でイイナァ、と思い始めた頃、ようやく美神が口を開く。
「……あんた、なんだってこんな時間に来たの? 三人は?」
「あぁ、夕方来た時にカバン持って帰るの忘れたんですよ。なんで取りに来ました。あ、三人はウイスキーボンボン食べたらしくって、俺んちで、ぐーすか寝てます」
「あ、そう」
「……今日って何の日か、知ってるわよね」
「美神さんには関係ないイベントの日っすね」
「んもう、いちいち突っかかるわね。別に私に関係がないわけじゃないわ」
「……でしょうね」
「そもそも、日本のヴァレンタインがおかしいのよ」
「……」
「ヨーロッパなんかだとね、男も女も関係なくプレゼントをするのよ。それで……」
延々とヴァレンタインに関する薀蓄を語り始める美神。彼女が何を言いたいのかまったく分からなくなり、あいまいな返事をするしかなくなる横島。しばらくそんな間抜けな時間が過ぎ、薀蓄の終了と同時に沈黙がその場を支配する。せめてボタンがあれば何とかなったのに。
とりあえず沈黙を破ろうと、横島が「へぇ〜」と口にしようと覚悟を決めた時、意外にも美神のほうが口を開く。
「飲め」
「……は?」
「で、食べなさい。命令よ」
「いや、流石にこのつまみはちょっと……」
「なによ! 私の手作りよ!!」
「それは良いんですよ。ただ、これは合わないんじゃないかと」
「男のクセにうるさいわねー! とりあえず食べなさい!!」
「……美神さ〜ん、やっぱ合わないっすよ。お酒とは」
「なによ、美味しくないって言うの!? 私が作ったのに!?」
「いや、美味いは美味いんすけど、酒とは合わないんですよ。第一美神さんだって食べてないんでしょ、これ?」
「べ、別に私が食べようと思って作ったわけじゃないもん」
「酒とは合いませんよ、チョコレートケーキは」
「う……、はっきり口にするな!!」
可愛らしくそっぽを向いた美神に対し、それ以上強くは出れずにケーキを口に運ぶ。
結局、アルコールをレモン系のカクテルにしてもらって、なんとか丸ごと一つ完食する。
そんな横島を、時折「作る時そこが難しかった」とか「このチョコ、高かったんだからね」と話しかけながら、美神は嬉しそうに見ていた。
一番多かった言葉が「美味しいでしょ」と言うあたりに彼女らしさが伺えて、横島は苦笑をこらえるのに困ったが、それよりも嬉しさや楽しさが上回り、いつしかケーキも美味しく感じられていた。
「ふぅ、ご馳走様でした。美味しかったです」
「当たり前でしょ、私が作ったんだから」
「まぁ、それはそうでファ〜、ン〜」
「何よ、眠いの?」
ケーキ一個を一人で食べ、それなりの量のアルコールも口にした。眠くなるのも当然だ、と言いたいが、口を開くのも億劫に感じて、横島は黙ったままソファに横になる。中途半端に美神のひざに乗る形になり、当然文句を言われる。
「あんたね〜、横になるなら反対側に倒れなさいよ〜」文句を言いながらも、自分の体と横島の頭を動かし、膝の上に頭が来るようにしてやる美神。そのまま横島の髪を撫でつけながら、優しく話しかけ始めた。
「……うぷっ、おえっ……」
「……おわっ、ちょっ、まっ! ストップ! ストップ!! 美神さん!!」
「……もう、だめ。ごめんね、横島君……」
「そんな芝居がかる余裕があるんなら、トイレ、トイレでっ!!」
あとがき
このSSは、米田鷹雄様のサイト Night Talker 様の、小ネタ掲示板に投稿したモノと一緒です。
オチを変えようかとも思いましたが、結構気にいってるオチなのでこのままで。横島が美神さんのゲ○を顔面ブロック、とかも考えましたが、それはちょっと、ねぇ?
まちすにとって久しぶりに書いたGS美神SSになりました。なるべく原作に近い感じが出るように頑張ってみましたが…
上手くいったかどうか、さてはてふむぅ。