逆行者 第十七話

written by まちす




「あのボロアパート、あるといいわねー」

 珍しく鼻歌なんて歌いながら、上機嫌でハンドルを握っていた令子さんが、突然そんな事を口にした。

「……急に何言い出すんですか?」
「んー、ほらここの世界って、かなり変わってるでしょ」
「ええ」
「だから、横島君のうちが無かったら、面白いかなーって」

 進行方向を見たまま俺を一瞥もせず、のどの奥でククッと笑いを噛み殺しながら、楽しそうに言う。
 いや、楽しそうというには、笑顔が黒い。
 きっとこれは、あんたにもびっくりサプライズがないと、潰す。ってことなんだろう。

「その時、あんたがどんな顔するのか楽しみでさー」
「そのために送っていく、なんて言い出したんですね」
「当然よ」

 美智恵さんが帰り、、お茶の後片付けを終えると、すでに外は暗くなっていた。
 いつまでも事務所にいるわけにもいかず、帰ることにした俺を、令子さんが「車で送ってあげる」と言ってくれたのは、素直に嬉しかった。
 令子さんの近くにいられる、というのもあるが、帰りの電車賃が浮くというのが大きい。
 たかが二百十円と侮るなかれ、なにせこの時代、缶ジュースが百十円で買えるのだっ!
 あともう十円あれば、二本も買えるんだぜ!
 消費税三%、万歳!
 ……いや、自分でも貧乏性だなあとは思うけれど、染み付いた習性は消えないんだよなあ、うん。
 座りなれた助手席に収まり、令子さんの運転に身を任せ自分で自分を慰めたりする。

 そんな事を考えながら、もうすぐあのアパートに到着、という所で令子さんの最初の台詞である。
 まあ、確かに何が起きてもおかしくない状況ではあるが、あのボロアパートはなくならんでしょう。

「あ、ほらあるじゃないですか!」
「……チッ……」

 ホッと胸を撫で下ろす俺とは反対に、悔しそうに舌打ち一つする令子さん。
 そのまま乱暴にアパート前に車を停める。

「んじゃ、また明日」

 そう言って車を降りる俺に、なぜだか令子さんまでついてきた。

「なにキョトンとしてんのよ。あんたの部屋、行くわよ」
「……はっ! まさかいきなりそんな…それ以上!?」

 ガスッと脳天直撃の拳骨をかますと、半眼で俺を睨む。

「変な妄想ばっかりしてんじゃないわよ」
「じゃあ、なんでまた?」
「……野球は九回二アウトからなのよ」
「……はあ」
「……諦めたらそこで試合終了なのよ」

 これ以上何があるっちゅーねん。アパートもあるし、問題はないと思うんだが。
 まさか、俺の部屋に美少女がっ!!
 三つ指突いて「お帰りなさい」とか、裸エプロンで「ご飯にする? お風呂にする? それとも、あ・た・し」とかなのか!?
 ま、まさか美智恵さんが居るとかなのかっ! 「それ以上も……ありよ」なのか!?

「……いい! ……すっごくいい」
「だから、変な妄想ばっかしてんじゃないっての」

 ぺシンと俺の頭を叩き、カツカツとヒールの音を立てながら、さっさと二階へと上がっていく令子さん。
 慌ててその後に続く俺……あ、パンツ見えた。
 下着が見えていることに気が付かず、そのまま上りきると二階の廊下へと歩を進める。

「……ちょっ、横島君!」
「すんません、ピンクに目なんて奪われてませんっ!」

 何かに驚いたような令子さんの声に、飛び退って謝る俺。

「見るつもりはなかったんすよ、本当ですよ。ただ上を見たら俺の視界に飛び込んできただけで!」
「何でもいいから、さっさと上がってきなさい!」

 どうやら令子さんが俺を呼んだのは、別件だったようだ。
 くそう、謝って損した。

「なんすか? そんなに慌てて、美智恵さんでも居ましたか?」
「このアホたれ! これ! これ見なさい!」

 俺の首根っこを引っつかむと、令子さんはドアへ押し付けるように顔を向けさせる。
 俺の目に飛び込んできたもの、それは。

「な、なんじゃこりゃぁぁっっ!!」


 コメント
 アパートがなかったら、横島君は野宿だったのでしょうか?
 はたまた、事務所にお止まりなのでしょうか?
 よもや、令子さんちにお泊りだったのでしょうか?(これはない
 まあ、あったからいいんですけども。


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