逆行者 第十六話

written by まちす




「――はあっ? こいつを弟子?」

 信じられない、とでもいうような顔で確認するように呟いた令子さん。
 うんうんと頷いている母親に近づくと、肩を揺さぶり、声を荒げた。

「なに勝手なこと言ってんのよっ! こいつは私の弟子なんだから!」
「まだ正式に入門したわけじゃないんでしょ。
 それに時給二百四十円じゃ、荷物持ちだってやらないわよ、ね」

 ……すんません。時給二百五十円で荷物持ちしてました、俺……
 娘の手をどけた美智恵さんは、俺の哀しみに気づかず、話を続ける。

「ちゃんとGSとしての指導もするし、お仕事を手伝ってくれたら、給料も出すわよ。
 もちろん時給二百四十円なんてケチなことは言わないわ」

 怒りに震える娘を、更に挑発するように俺の手をとる。

「横島君の頑張り次第では、それ以上も……ありよ」

 何!? それ以上って、何!?
 期待に満ちた視線を送ると、美智恵さんは頬を少しだけ赤く染め、恥ずかしそうに微笑んだ。
 うん、良い。
 ……なんていうか凄く良い。
 提示された条件はかなりいいし、元々令子さんの所から出て行こうと決めてたんだし。
 そう決め、頷こうとした時だった。

「時給三千円!!」

 突然の大声。その主は、令子さんだった。

「無料でGSの指導付き!!」

 唖然とし、何もリアクションを返せない俺をじっと見据え、怒ったように話す。

「食事つき! 掃除はして! 頑張り次第では……そ、それ以上は……」

 そこまで一息で言い切ると、顔を赤くし、ごにょごにょと口ごもる。
 なんて言うか、令子さんがここまで言ってくれるとは思わなかった。
 プティ感動した。傾きかけた気持ちが、反対方向に戻ったよ。

「令子さん、お願いします」

 戻りすぎた気持ちのまま、ソファから立ち上がり頭を下げる。
 令子さんは、へ? と間の抜けた返事をよこした。
 彼女に近づき、再度頭を下げる。

「一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします!」
「あ、うん。ビシバシしごくから、覚悟しなさいよ」

 わざとらしく眉間に皺を寄せたしかめっ面で、そう俺に告げると、令子さんは母親へと視線を動かし――
 って、いねえよ美智恵さん。
 二人で客間をきょろきょろと見回すも、どこにも見当たらない。

「ちょっと、ママ。どこ行ったのよ」

 その呼びかけが聞こえたのか、客間と入り口の間の仕切りから、美智恵さんがひょっこりと顔を出した。

「あ、令子。さっき横島君に出した条件、ちゃんと守るのよ」

 さっきまでの色っぽい雰囲気はどこへやら、すっかり帰り支度を整えた美智恵さんは娘にそう念を押すと、ドアを開けた。
 令子さんはその言葉に一瞬顔を赤くしたが、母親の背中に慌てて声をかける。
 
「ママ、もう帰っちゃうの?」

 どこか寂しそうな声色。隠し切れない寂しそうな表情。
 それに気づいているのかいないのか、美智恵さんあっさりと答えを返す。

「ええ、ひのめがそろそろ学校から帰ってくる時間だから」

 ――え゛?
 令子さんと顔を見合わせる。予想外の言葉に声すら出せない。
 そんな俺たちに一瞥もくれずに、じゃあねなんて言いながら、出て行く美智恵さん。
 ドアが閉まる直前、彼女は振り返るとその隙間から話しかけてきた。

「これからは、しばらくは日本にいる予定だから、何かあったら連絡なさい。
 横島君も令子についていけなくなったら、いつでもいらっしゃい」

 最後の最後に、俺たちの混乱に拍車をかけるようなこと言い、美智恵さんは帰っていった。
 顔は良く見えなかったが、多分にっこり笑顔であったろう。
 最初から最後まで、俺も令子さんも振り回されっぱなしだったなあ。
 まさに台風一過ってヤツか……。

 美智恵さんの帰宅後、数十分たった頃だろうか、令子さんがようやく口を開き、俺たちの時間が流れ出した。

「お茶の片付けしないとね」
「あ、俺やりますよ。そういう約束だったし」
「いいわよ、最初なんだから私がやるわ」
「じゃあ、二人でやりましょうよ」

 微笑みながら手を取り合い、客間へと戻り、片づけを開始する。
 窓から差し込む夕陽に照らされながら、「ウフフフ」「アハハハ」と笑いあう俺たち二人。

 当事者の俺が言うのもなんだが、正直言って、怖い光景だった……。


  コメント
 ようやく事務所編完結。もっと纏めれば、十話前後で終わったかも。
 あ、ひのめちゃんはこれから先、出てきません。
 コロンボのカミさんみたいに。
 美神親子の口から「ウチのひのめがね〜」とかいった具合に、名前だけ登場予定。
 駄目?


BACKINDEXNEXT
SS TOP