「――はあっ? こいつを弟子?」
信じられない、とでもいうような顔で確認するように呟いた令子さん。
うんうんと頷いている母親に近づくと、肩を揺さぶり、声を荒げた。
「なに勝手なこと言ってんのよっ! こいつは私の弟子なんだから!」
「まだ正式に入門したわけじゃないんでしょ。
それに時給二百四十円じゃ、荷物持ちだってやらないわよ、ね」
……すんません。時給二百五十円で荷物持ちしてました、俺……
娘の手をどけた美智恵さんは、俺の哀しみに気づかず、話を続ける。
「ちゃんとGSとしての指導もするし、お仕事を手伝ってくれたら、給料も出すわよ。
もちろん時給二百四十円なんてケチなことは言わないわ」
怒りに震える娘を、更に挑発するように俺の手をとる。
「横島君の頑張り次第では、それ以上も……ありよ」
何!? それ以上って、何!?
期待に満ちた視線を送ると、美智恵さんは頬を少しだけ赤く染め、恥ずかしそうに微笑んだ。
うん、良い。
……なんていうか凄く良い。
提示された条件はかなりいいし、元々令子さんの所から出て行こうと決めてたんだし。
そう決め、頷こうとした時だった。
「時給三千円!!」
突然の大声。その主は、令子さんだった。
「無料でGSの指導付き!!」
唖然とし、何もリアクションを返せない俺をじっと見据え、怒ったように話す。
「食事つき! 掃除はして! 頑張り次第では……そ、それ以上は……」
そこまで一息で言い切ると、顔を赤くし、ごにょごにょと口ごもる。
なんて言うか、令子さんがここまで言ってくれるとは思わなかった。
プティ感動した。傾きかけた気持ちが、反対方向に戻ったよ。
「令子さん、お願いします」
戻りすぎた気持ちのまま、ソファから立ち上がり頭を下げる。
令子さんは、へ? と間の抜けた返事をよこした。
彼女に近づき、再度頭を下げる。
「一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします!」
「あ、うん。ビシバシしごくから、覚悟しなさいよ」
わざとらしく眉間に皺を寄せたしかめっ面で、そう俺に告げると、令子さんは母親へと視線を動かし――
って、いねえよ美智恵さん。
二人で客間をきょろきょろと見回すも、どこにも見当たらない。
「ちょっと、ママ。どこ行ったのよ」
その呼びかけが聞こえたのか、客間と入り口の間の仕切りから、美智恵さんがひょっこりと顔を出した。
「あ、令子。さっき横島君に出した条件、ちゃんと守るのよ」
さっきまでの色っぽい雰囲気はどこへやら、すっかり帰り支度を整えた美智恵さんは娘にそう念を押すと、ドアを開けた。
令子さんはその言葉に一瞬顔を赤くしたが、母親の背中に慌てて声をかける。
「ママ、もう帰っちゃうの?」
どこか寂しそうな声色。隠し切れない寂しそうな表情。
それに気づいているのかいないのか、美智恵さんあっさりと答えを返す。
「ええ、ひのめがそろそろ学校から帰ってくる時間だから」
――え゛?
令子さんと顔を見合わせる。予想外の言葉に声すら出せない。
そんな俺たちに一瞥もくれずに、じゃあねなんて言いながら、出て行く美智恵さん。
ドアが閉まる直前、彼女は振り返るとその隙間から話しかけてきた。
「これからは、しばらくは日本にいる予定だから、何かあったら連絡なさい。
横島君も令子についていけなくなったら、いつでもいらっしゃい」
最後の最後に、俺たちの混乱に拍車をかけるようなこと言い、美智恵さんは帰っていった。
顔は良く見えなかったが、多分にっこり笑顔であったろう。
最初から最後まで、俺も令子さんも振り回されっぱなしだったなあ。
まさに台風一過ってヤツか……。
美智恵さんの帰宅後、数十分たった頃だろうか、令子さんがようやく口を開き、俺たちの時間が流れ出した。
「お茶の片付けしないとね」
「あ、俺やりますよ。そういう約束だったし」
「いいわよ、最初なんだから私がやるわ」
「じゃあ、二人でやりましょうよ」
微笑みながら手を取り合い、客間へと戻り、片づけを開始する。
窓から差し込む夕陽に照らされながら、「ウフフフ」「アハハハ」と笑いあう俺たち二人。
当事者の俺が言うのもなんだが、正直言って、怖い光景だった……。
コメント
ようやく事務所編完結。もっと纏めれば、十話前後で終わったかも。
あ、ひのめちゃんはこれから先、出てきません。
コロンボのカミさんみたいに。
美神親子の口から「ウチのひのめがね〜」とかいった具合に、名前だけ登場予定。
駄目?