GS界切っての守銭奴、美神令子。
その彼女との給料交渉――いわゆる銭闘――に勝利した俺は、次の相手の元へ向かうべく、ドアノブに手をかける。
だが、彼女は今まさに事務所を出ようとしている俺に声をかけてきた。
その声に俺が振り向くより早く、彼女は俺に近づくと後ろから抱き付いてくる。
「……私の負けよ。でも横島君ってばまだ未成年なんだから、破格のお給料ってわけにはいかないわよ」
「はあんっ、耳に息が、背中におっぱいが」
「だ・け・ど、私にしかできないご褒美をあげるわ。だから、ね」
そう言うと俺の耳に息を吹きかける。だめだ、コレは罠だ、絶対罠だ。
ご褒美とかいいつつ殴る気だ。それで「私にしか出せないわよ、この威力は」とか言う気だ、この人は。
だがしかし…男として、この攻撃には逆らえんのじゃーーーっ!!
美神さんは俺のそんな葛藤を見透かしているかのように、強弱をつけ体を密着させてくる。
そうこうする内に、どこから取り出したのか契約書を取り出し、扉に押し付けるようにして俺の眼前にもってくる。
さらには、俺の右手にペンを握らせると、自分の右手を添える。
「この契約書にサインして」
「ぐおう、これは罠や罠なんや。分かっているのにサインしてまいそうや」
「ほら、変な抵抗しないの」
一際強く、美神さんの体が押し付けられる。その一瞬だけ、意識が契約書からその感触へと移る。
その感触に身を任せたい誘惑を振り払い、なんとか再び契約書に意識を移した俺の目に飛び込んできた文字。
それは。
『時給 240円』
「って、ちょっと待てーーーっ!! なんで250円より下がってるんすか!?」
「……ちっ、気がついたか。もう一押しだったのに―――こうなったら……」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、美神さんの右手に力が篭る。
「ほらっ、サ・イ・ン・し・な・さ・い・よ」
「ぜっ・た・い・い・や・じゃ・あー」
力ずくでサインさせようとする美神さんに、全力をもって抵抗する俺。
ペン先が契約書については離れを繰り返し、一進一退の攻防を繰り返す。
その争いに夢中になっているうちに、美神さんの体は完全に俺の体に密着し、お互いの顔は頬がくっつくまでに近づいている。
その状態に先に気がついたのは、俺の方だった。自然と意識の全ては美神さんへと向かう。
「―――今だわっ!!」
「……しまった! あ、あ、あぁー」
力の抜けた俺の右手は簡単に美神さんの言うことを聞いてしまう。
あかん、終わった。またあの薄給が、極貧生活が…ご褒美は絶対に無かったことにされるんだろうし。
サインはすでに「横島忠夫」の「忠」までされている。敗北と、それに伴う極貧生活を覚悟した俺。
だが、そんな俺に意外な所から救いの手が差し伸べられた。神様はまだ俺を見捨ててはいなかったのだ。
「ちょっと令子。なに大きな声を出して騒いでるのよ。廊下まで全部聞こえてるわよ……あら、お取り込み中?」
美神さんがペンを走らせていた契約書。それが置かれていたビルの廊下へと続く扉。
その扉が不意に開き、一人の女性が入ってくる。
その女性は見慣れたはずの人。けれどこの時点では会うことがないはずの人。
その女性の目の前で、俺は後ろから美神さんに抱きつかれたまま、固まるしかないのであった。
コメント
六話のコメントであんなこと言っときながら、エロティック。
まあ、これが作風ですので許してください。
次からようやくこのお話の壊れ世界観の片鱗が垣間見える……かな?